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10周年を迎えました!!!

≫ パーデクルール 10周年



日頃よりご来店の皆様

お取引関係者様

支えて下さっている美容師の皆様

パーデクルールは

おかげさまで10周年を迎えることができましたこと

をご報告させていただきます。


感謝という言葉では言いあらわせない気持ちでおります。



私たちは当初、

水戸の街に美容を通して

何かアクションができないものか?

私たちに出来ることは何か?

街を支える仕事 をしようと店を始めさせていただきました。


長らく東京の激戦区でやっきたことを

地元に伝えられればと新しい提案を試みてやってまいりました。


まず、地域の広告誌で

美容師・ヘアサロン向けのメッセージとでも言うべき

仕事の姿勢で入稿していました。


今の季節は、

こういうヘアスタイルがいいよ!

こういうヘアカラーはいかが?


一見カスタマー向けの文言のようですが、

それをみた地域の方がいつも担当している美容師さんないしヘアサロンで

こういうのがやりたい、こういう髪型にしたい!

と言わせられる記事にしていこうと。





また、私自身カラーリストと言う立場

地域でどのように私の立場を活かせるものかと

暗中模索で自身を信じてやってまいりました。


その甲斐あり、わずかではありますが、

地域に影響を与えられる存在になれたのではないか、

と実感しています。


10周年を迎えて思うところ

大きく3つにまとめます。


  1. 技術者と経営者との狭間に翻弄される時を過ごした。

  2. 人生のステージと共に変わる自身の感情。

  3. 出来ない事を認めた


≫ 技術者と経営者との狭間に翻弄


私が過ごした美容師として最初の時間はとても濃いものでした。


東京の下町の美容室であったからであろうか、

なぜみんなそんなに熱くなっているのだろう?ってくらいに

会社の飲み会があるたびにそこらへんで喧嘩が始まる。


もちろん毎回ではなく楽しいものが大半なのだけど、

こと「飲み会」となると、いつおっぱじめるかわからない

先輩たちに戦々恐々として同期達と過ごしてた記憶があります。


いざ先輩たちが暴れ始めると、

どう納めようかと同期達と揺れる


私が会社に入る前の状況は、分からないものの、

概ね激しく楽しくが社風のようなものだったのかな(笑



現場でも厳しく叱られたっけ…


私が入った年は特に揺れていた記憶で、

表参道に新しくサロンを出店する年でした。


そこはヘアカラーリストが主役の舞台。


私はそんな年の入社です。


師匠となる、当時のボスは存分に厳しい方で、

職人とは・プロ意識についてのこだわりが強く

技術に対して一貫として徹底追及を緩めないかたであった。


また、聡明薬学の知識も豊富。(ロンドン大学のバイオケミカルを専攻していたインテリタイプ!美容師になった経緯は割愛)


おかげでカラー剤の開発にも関われました。


さらに下町の生まれで口が悪い。くそ、ばか、死ねは日常用語。

↑罵るだけでなく褒め言葉だったりもする。食い下がらない強さを覚えた。


先輩と尊敬の念を込めて宇宙人と呼んでいた。



私の仕事に向かう姿勢は全てそこで養われている。


不思議な事に私はボスに教わった技術はさほどない。


学ぶ姿勢職人としての在り方プロ意識についてだけは、

徹底して怒られ怒られ教わった。←世間知らずで何もできなかった…


あとは、近くに居ながら見て学ぶ


正解を与えてくれない


だから、基礎こそ統一されてはいたものの、

カラーリストそれぞれが自由なデザイン提案が出来ていた。


マニュアルというカテゴリーがないため、

皆が横並びの提案をするわけではなく、

そこに個性が存在する。


ある程度技術を身につけた後は

自ら現場での必要から研鑽していった。


そのような、

ゴリゴリ職人気質な環境で過ごしてきた私は、

至極当然に技術が一番の価値基準となっている。


それから数年後、

私は経営をする事になるのですが、

経営について中小企業診断士の資格講座に通ったり

机上では学んでいました。


店をオープンするまでは、

なんとなく大丈夫かなぁと!


しかしながら、

机上の空論という言葉がある通り、

学びは実務を持って発展するものです。



実務の経験がないまま空論で経営をしていた。


たいして考えず今までの美容室での

経営にカスタマイズを施したもの。


ビジネスに対しての個性が無い。


経営目線でいうとヘアサロンの経営を目指さなくとも

もっと自由な発想で良かったのです。


それでもマーケティングにより

顧客ゼロから始めた集客では成功を納めました。


先ほどの実務という部分で、

経営は身近に見て学ぶという環境はありませんでした。

戦略的にとか、直接売上・収益につながる何かを考えて

実行してきた経験はありません。


技術者職人の延長でやっていた為に、

技術があればという考えで他のマーケットを開拓しなかった。



カラーリストの経営としてビジネスモデルの構築が出来ていなかった


私に経営についての、

気付き学びを与えてくれたのは、

しんびようさんです。←美容の専門誌


都内で代々木体育館で毎年おこなわれる、

表参道コレクション ( 表参道で活躍するサロンが中心 ) にいったついで、

昔お世話になった編集の方と会う約束をしていました。


昔話近況の報告と話をしている中で

カラーリスト の経営についての相談をしていたところ、

経営について話し合う「美容とワイン」という

会を開いているから来てみない?

誘われたのがきっかけでした。


そこは実際にワインを飲むわけではなく

経営者や幹部の方が、

成功事例や今おこなっている施策を発表するスタイル。

毎月ないし2カ月に一回開催されていました。


クローズドの会合少人数制

参加サロンさんは表参道の有名店から、都内郊外の店、地方都市など、

それぞれ経営環境が違うなかで話し合います。


そんな中、毎回成功事例を発表するのですが、

当時の私は経営を感覚でやっていたので、

これといって戦略的に何かをやったという試しがない

技術思考で提案をしている感じ。


何を発表しようとなるわけですが、

私と違って皆さんは色々と発表してきます。


なるほどと思うこともありましたが、

なぜに皆さんそんなことやっているのだろう!?

疑問を持ちつつ参加していました。

↑美容室なのに多肉植物の売り方を話していたり。


私のお店の成功事例不備指摘されたりと、

経営者目線ビシッとやられたりします。


疑念を抱きながらも、

ビシッと指摘された部分を真摯に受け止め

サロンに持ち帰りスタッフ意見を出し合いながら

改善も試みました。


とやっているうちに、

「 なるほど…経営とはこういう事か… 」

と不思議と感じるようになってきたのです。


それから紆余曲折があり、

全てを取るよりも1つに集中するのが良しと、

  • 私の個性 ( カラーリスト ) を十分に発揮できる環境。

  • スタッフの特性 ( 技術に特化しない提案 ) をうまく出しやすい環境作り


という二つに集中をしていこうと決め

2年がかりで現在まで進めて参りました。



店は一人の人間と同じ扱いで独立した存在でないといけない。


店自体が個性を持って独立していなくてはならないのでは。


パーデクルールというお店は、

私の個性 ( オーナー・カラリスト ) 依存している店であった為に、

私が呼び水となり技術力の高さをうたい集客の要としていました。


私が作ったのだからそうあるのは当然ですが、

1人の人間のように店であっても個性は宿せます


私の存在なくとも独立して立っていける店づくりが

今後の成長に欠かせない要素である。


と考えるようになりました。


この事はオープンから2年目くらいにすでに感じていましたが、

技術一辺倒の私にはどう進めてよいものかわかりませんでした。


美容とワインの会に参加できた事で、

緊急にやらなければならない課題を見つけることができ、

経営者としての行動を取れるようになれました。


遅かれ早かれ、今までの経験血となり骨となり

技術一辺倒でやってきたからこそ今の答えがあります。


以上が技術者として経営者としての10年でした。


今後も職人であり続けたいと願うからこそ、

経営者として組織を率いる身として、

時代の移り変わりに柔軟でありたいと思っています。




≫ 人生のステージと共に変わる自身の感情。


独り身から家族が増えた事で。


まだまだこれからが長いので、

ライフステージ変化がというには時期尚早ではあるものの

巡るましく変わる生活環境の速さにびびったりもしています。


うちの子はあっという間に小学四年生。


あと数年には中学生だよ。


焦りますよねー笑。


将来のことを見つめなおしたり、


今のやっていることの見切りをつけたりと


考えることが増えています。


スタッフもタイムリーに同じ生活環境になってきており、

加速して「 守る 」が増えています。


こうありたい、こうでなければいけない!と願う一方で、

今のままではいけないとジレンマに陥ります。


私はいつも楽しみを見つけて過ごしています。


それは、遊びの楽しさだけでなく、


将来のやりたい事や

実現したい事がそうさせています。


楽しむためには責任を果たす事。


ただ楽しく過ごすだけにはどうにも罪悪感が残り、

無責任にはなれない性分であるからか。


そうなると大変な方向へと自然と向いていく。



周りが笑顔で楽しく過ごしてもらえれば。


そうそう簡単ではなく出来ているかと思うと出来てはいません


ただただ楽しく過ごせばいいじゃん!

と思うところではあるのですが、

あえて大変な方向へ向かってしまう、

そういう性格だから仕方がありません。


もっともっと周りを豊かに幸せにしたい。


日々そう願っています。


物質的な豊かさ、

精神的な豊かさを

みんながみんなで手に入れられた時に、

手つなぎ喜びを分かち合うあえるまで。

心からそう感じられるまで、

やらないとな。


しかしながら、

ストイックさ故に結果として周りに気をつかわせているのも事実。

それにも気付いています。


だから、

早く達成しなきゃと躍起になる。



優しくなった。


そうやって大変な思い共有していると、

プライベートでの様々な事情に寛大に慣れるように。


私はこと職人気質があり、

なに甘ったれてんだー!てやんでぇ〜!


ってなっていたのが、

私も含め融通が利かせられるようになりました。


ここも大きな出来事です。


私はこのサロンを立ち上げてから、

感情的に怒ったことは数回程度。


個々の事情に責任がきちんと存在していれば

何をやっても良し!


最近は働き方改革という言葉が流行っています。


これも責任前提だと思うんです。


きちんと役目を果たした先に、

それに報いるように労いのような人としての温かさからくるもの。


そういったお互いの血の通った人間らしさがあれば、

働き方改革などいらないのではないかと思います。


今後もライフステージが変わるごとに

人としての心の成長もしていければと思っています。



≫ 出来ない事を認めた


このつまずきに気付けなかったのは大きな損失。


自信満々で、自信過剰で、自己過信

そのような言葉が当てはまり、

逆に痛々しい事を込めて満身創痍(傷だらけ)の裸の王様


賢くも思っていたしなんでも出来ると思っていた。

感性も優れているとか。


痛々しいですよねー。


考えるにただの憧れを語っていただけなのかなと。


東京に憧れている田舎の中学生みたいな感じ。


都会から来た転校生にびびって、

対抗心燃やしてみたり。


育ってきた環境がまず違うから、

競ったところで勝ち目がないし、

何をやっても見透かされているような。


だからこう言われます。

田舎のそういうところが嫌い。と。


勝手に妬まれ嫌がらせを受ける。


上には上がいるもので自身を高めるには、

現状や現況を直視して改善して行動してという、

PDCAのようなものが必要だ。


恵まれた環境でやってこれてしまって、

自分の実力以上のものが備わってしまっていた。


周りの力でなんとかやっていただけで、

私が1から何かしたことはごくわずかだ。


さらに技術があればなんとかなるという過信


技術は裏切らないのでたくさん助けられ

なきにしもあらずではあるものの、

それだけで何が出来んのよー!


ってな感じ。


そうです。

私は何もできなかったのです。


自分を認めた瞬間に、

素直に助けてほしいと言えるようになりました。


出来ないから助けてーと!


それまでは、

なんでも出来ると思っていたので全部自分でなんとかしよう


相手にもなんでこんな事も出来ないのだろう?


出来て当然と思っていたりやらないのは怠慢だとか、

自分自身だけでなく相手にも同じように出来る事を求めていたり。


その結果、何も進まないし、

何やっているんだかわからなくなっているし、


とにかくいっぱいいっぱいになっていて、


それでも出来ないなんで微塵にも思っていないからやるのだけど、


全部中途半端で終わるのです。


出来ない事を認めたら、


人に頼ったり、

任せる事が徐々に出来て私自身のやるべき本来の仕事も見えてきた。


やらなきゃいけない仕事だけでなく、


集中すべき仕事。



ともにパンを食べる仲間(分け合う仲間)


英語のカンパニーという言葉の語源はご存知ですか?


語源は昔のラテン語「一緒にパンを食べる仲間」のことをさすのだとか。


カンパニーは一般的には会社のことですが、


集まった仲間をさしたりもします。


共通の目的共感によって集まり

分かち合うことでお互いの目的が達成するということ

ではないのかなと。


私は今リーダーをやっていますが、

リーダーは必ずしも完璧でいなくてはいけないわけではありません。


周りといかに目標目的を共有し達成できるか。



人それぞれ個性があり能力も違う。


集中すべき仕事とは、


私の場合は、

ヘアカラーに特化していてヘアカラーが得意なので、

素敵なヘアカラーをお客様に提供する。


という単純なものではありません。


こういった物は売り物に過ぎません。


この組織の中で、

必要なのは経営運営のたった2つです。


経営とは、この組織が同じ方向に向かって目的を達成するするための準備をするところ。


よくに例えられるのですが、

乗組員が安全だとか、

航路は決めておくとか、

いった先でなにをするか

そもそも何故航海をするのか?

とか、目的に伴う準備をする場所です。


運営は、それらを円滑に行うために実際に行動する場所。


経営で道筋を決めて行動指針に従ってそれを運営する。


パーデクルールという組織の中で、

私のやるべき仕事経営でなくてはいけない。


私は今まで現場経営どちらもやってきました。

個人の店なので当たり前な事なのですが、

しかし経営はもっと専門的(アカデミック)な分野で

片手間でできる仕事ではないと気付かされました。



組織での主な役割は経営です


もう現場は現場の人間に任せるぞい。


という事で現場には出ておりますが、

昨年の1月より新規のお客様は取っていません。


スタッフ自ら責任を持ってコミット出来るような

現場を作っていかないと。


ひとりでは出来ることに限界がありますからね。

まだまだ小さいサロンなので、

自分でやらないといけない事が大半ですが、

心の中では運営面は現場へ任せています。


それがパーデクルールが成長する上で必要だからです。



≫ 10年間ありがとうといいたい


お店には敬意を払いたい


最初に店の引渡しの時を強く覚えています。


店舗の設計・施工に携わってくれた

長野在住の家具職人でもある HIRO さんに

まだ何もない店舗に呼ばれました。


収納には何もなく、

特注で作って頂いたやソファーなどの什器がある以外、

本当にまっさらな状態です。


陽も落ちかけて少し薄暗な店内で、

シャンプー台の下に使われている足場の木材について

話をしていたのを覚えています。


HIRO さんとスタッフさんと私とで、

一本一本全て違う木材で、

この木は〇〇といった木でね、とか

硬質で丈夫な木でね、とか

高級な木材なんだよ、よか

素直でまっすぐで歪みがない、とか、

職人のカンナ入れの話まで。


そして、入り口の大きなドア人の顔があってね、とか

それが守り神のようになるといいね、とか。


気付いたら陽が完全に落ちて暗くなっていました。


こんなことを言ったら変に思われるかもしれませんが、

パーデクルールという店は生きています


鉄製のの足場のサビや、

取っ手として機能している牛皮についた手垢の模様。


廃棄される運命の建築の足場として使われていた、

鏡やドアや床に使用されている個性的な木材達。


私は10年使用してきた中で、

拭いたり、掃いたり、磨いたり、叩いたり。

する中で、物のように感じた事がありません。


ぬくもりを感じて、

時に微笑かけたり、心の中で話しかけたり


10年が経ったその時には店にありがとう。と語りかけ、

感謝していました。



スタッフへの感謝


ベタな言葉しか思い浮かびません(笑)


いつもありがとう


大切であればあるほど

言葉が見つからないものです。


言い表せないというか。


共に成長させていただいた仲間達です。


本当な感謝しかありません。


メッセージを送るとしたら、


私はまだまだ勉強中だ


という事。


裏を返すと、

もっともっとより良い店づくりを頑張らねばなるまい。

皆の目標と自分の目標が一致していけるまで走るしかないのだ。


という事だ。


みなの目標は?

みなの望んでいることは?


いろいろ聞かせて下さい。


私は皆んなと共に幸せになりたいと願っています。


この10年間はまともに皆に向き合えなかったと思う。


そんな中で店に命を吹き込んでくれたみんなには感謝しています。


また次の10年は、

色も形も変わっているかもしれないけれど、

私たちの心の中身は何ひとつ変わらず

やっていければと願っています。


10年やってきてようやく人として素直になれてきたようです笑


今後も続くよパーデクルール!!!


何卒よろしくお願い申し上げます。




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